2
高校時代の英雄は無双した。
1年の時から大会に出て、インターハイでも好成績をおさめた。
誰よりも練習に励み、誰よりも技術を高めていった。
身長は中学時代の160センチメートルのまま。
柔道をやる人間としてはかなり小柄な部類である。
けれども、英雄はそのハンデをものともせず、練習に励み、県内では敵なしの猛者として名をはせていた。
小柄な体格をめいいっぱいにつかって、相手を翻弄して、投げる。
特にブラジリアン柔術をやっていた影響からか寝技が得意だった。
柔よく剛を制す。
その言葉を体言する存在として、英雄は自分よりも大きく、体重だって倍以上ある相手にも遅れをとることはなかった。高校3年の大会ではついに優勝し、団体戦でも大将として君臨して、団体戦優勝まで果たした。大学でも柔道をやるつもりで、はやくも推薦で都内の名門大学への入学を決めていた。
まさに順風満帆。
そんな3年生の秋のこと―――突然、ブラジリアン柔術教室の師範から連絡を受けた。
*
「久しぶりだな」
喫茶店。
英雄が店に入ると師範はすでにコーヒーを飲んでいた。
大柄でいかつい大人の男だ。
眼光が鋭くて目の前にしているだけで威圧感を覚える。その様子は3年前と変わらなくて、英雄は自然と背筋が伸びた。
「お久しぶりです。師範」
「ああ。英雄の活躍は見ていたよ。すごいな」
「そんな」
師範にほめられて、胸を熱くさせる英雄。
ブラジリアン柔術の世界大会で入賞したこともある男からの言葉は、英雄にとって素直に嬉しいものだった。
「それで、今日は何かあったんですか?」
「うむ。そうなんだ」
師範はそこでコーヒーにもう一度口をつけた。
ゆっくりと咀嚼するように飲んでいる。
何か言いにくそうにしている。それが英雄にも分かった。
「今度、ブラジリアン柔術協会の世界戦がある」
「はい、確か師範も参加されるんですよね」
「うむ。それで頼みごとがあるんだ」
「頼みごと?」
どういうことだろうか。
疑問に思った英雄に対して、師範が、
「大会は外国で行われる」
「そうなんですか」
「ああ、おそらく1ヶ月ほどは向こうに滞在することになるだろう」
「はい」
「その間、英雄にブラジリアン柔術教室の師範代を頼めないか?」
英雄は目を丸くして驚いた。
自分はブラジリアン柔術の練習をしなくなって3年のブランクがある。その間はずっと柔道の練習に明け暮れていた。そんな自分に師範代なんてできるわけがない。そう思ったのだ。
「おまえの強さは分かっている」
「師範」
「おまえの試合も何度かみた。寝技には柔術の技術が使われていた。なんの問題もない」
「ですが、」
「うちの道場を任せられるのは英雄しかいないんだ。後生だ。頼まれてくれないか」
そう言って、師範は頭を下げた。
それを見て、英雄はうっとうめく。
師範に頭を下げられるなんて初めてだった。
熱いものを感じた英雄は腹を決めた。
「分かりました。やらせてもらいます」
「本当か?」
「師範の頼みですからね。俺でよければ、お力になります。ちょうど、部活も引退式を終えたばかりですから、大学に行くまで時間もありますし」
「そうか」
ほっとした様子の師範。
しかし、どこかそわそわとした落ち着きのない様子が見受けられた。こんな師範を見るのは初めてで、やはり英雄は面食らってしまった。歯切れが悪そうに師範が口を開く。
「英雄、明日香のことは覚えているか?」
「明日香? ああ、もちろんです。あの子はまだ教室に通ってるんですか」
「・・・・・・・ああ、通ってる」
「そうですか。練習熱心だったあの子のことだ。だいぶ実力をつけたんじゃないですか?」
「・・・・・・・そうだな。強くなった。いや、強くなりすぎた」
「え?」
師範の声がよく聞こえなかった英雄が問いかける。
それを無視する形で、師範が真剣な表情で言った。
「明日香のしてることを止めるな」
「ど、どういうことですか」
「そのままだ。行けば分かる。理解する。けれど、明日香のしていることだけは止めるな」
真剣な表情。
そこにさらなる質問を向けることはできなかった。
英雄は気圧されてコクリと頷いた。
その選択が、自分の人生を変えてしまうことになるとも知らずに。
つづく