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 男女が向き合っていた。

 体格のいい幼い顔立ちをした少女。

 そんな彼女よりも一回り小さい精悍な顔立ちの男。

 ほかの生徒たちは、そんな二人を遠巻きにして、勝負の行く末を案じていた。

「師匠、本当にやるんですか?」

 明日香は気乗りしないように言った。

 いつものニコニコした笑顔さえなりを潜め、明らかにやる気のない様子で棒立ちしているだけだ。

 英雄はそれを怯えととらえた。

 強い者と戦うことに対する躊躇。

 英雄はあくまでも指導者として、明日香と対峙していた。

「あたり前だ。いいかい明日香、戦いというのは相手を選べないんだ。自分より弱い相手としか戦わないなんて、そんなことは許されない」

「はあ」

「君には一度、現実というのを思い知ってもらおうと思う。これは明日香のためなんだ」

「そうですか。わかりました。でも、いくら師匠といえども、明日香は手加減できませんからね」

 対峙する二人。

 試合開始を告げるブザーが鳴った。

(いっきに決める)

 英雄が動いた。

 低空タックル。

 地面スレスレまでかがんで相手の足を巻き取る英雄の得意技だ。どんな体格の良い相手も地面に引きずりこんできた技が、明日香の足に直撃する。

 しかし、

「な!?」

 英雄が驚愕の声をあげた。

 明日香のむき出しの足を抱きかかえ、そのまま全力をもって押し倒そうとした。しかし、明日香はまったく微動だにせず、棒立ちのまま英雄のタックルを受けきってしまったのだ。

「師匠、なにしてるんですか?」

 頭上からの声。

 恐る恐る英雄が上を見上げると、そこにはキョトンとした顔でこちらを見下ろす明日香がいた。

「ひょっとして、タックルのつもりですか?」

「く、くそ」

「ほら、もっと力こめてください。全力でやらないと、明日香のことは倒せませんよ」

 最初から全力なのだ。

 それなのに明日香はフラつくこともしない。

 英雄は顔を真っ赤にさせて明日香の体を押す。

 彼女の足下にへばりついて、下半身の力をつかって明日香のことを倒そうと力をこめる。

「くおおおおおおッ!」

 全力。

 それなのに明日香は泰然としたまま棒立ちを続けるだけだった。

 英雄はまるで大木を抱きかかえているかのような錯覚に陥っていた。明日香の下半身の強靱さが伝わってくる。そのムチムチした太ももやふくらはぎの皮下脂肪の下に眠っている筋肉の存在感が感じられ、自分との差を嫌がおうにも思い知らされた。

「ひょっとしてそれが全力ですか?」

 明日香の言葉。

 それにビクンと英雄がふるえる。

「もういいです」

 ベチンッ!

「ひいいいいいいッ!」

 明日香の張り手。

 それが英雄の背中に炸裂し、英雄は地面に叩きつけられて倒れ込んだ。あまりの激痛に息ができない。英雄は地面にうつ伏せで倒れたまま、カヒューとか細い声をあげるしかなかった。

「たあいもないですね、師匠」

 明日香が地面に倒れ込んだ英雄にむかって言う。

 その高身長から、少女が容赦なく自分の師匠を見下ろしている。

 彼女の肉体の逞しさと、地面にはいつくばって苦しんでいる矮小な男の対比。二人のうちのどちらが上なのか、一目瞭然な光景がそこにはあった。

「ほら師匠、いつまでも悶えてないで立ってください」

 明日香が英雄の腕をつかんで引きずり起こす。

 まだフラフラした様子の英雄はそれでも立ち上がり、目の前の明日香と対峙するしかなかった。

「まさかこれで終わりじゃないですよね?」

 明日香の何かを確信している声。

 相手のすべてを見切った上での言葉。

 ニヤニヤと笑いそうになるのをこらえている明日香の笑顔に、英雄は戦々恐々とした。

「明日香からは技かけないであげるので、どんどん来てください。柔道の技をつかってもいいですよ? 明日香は柔道だけはやったことないので、初見の技には苦戦するかもしれませんし」

 くすくす。

 余裕たっぷりの顔。

 英雄は恐怖した。

 それでも立ち向かわざるを得なかった。

「くそッ」

 自分の得意技。

 背負い投げ。

 どんな体格の良い相手でも小さくかがんで背負ってきた。

 英雄は素早く明日香の道着をつかみ、全身全霊をかけて腕を引き込んで、彼女の体に自分の背中を押し当てた。

 この3年間を捧げてきた柔道の技。初見で対処することなんて不可能。そのはずだった。

「あはっ、なにしてるんですか、師匠」

 返ってきたのは笑い声だった。

 英雄は彼女に背を向けた体勢から一歩も動くことができない。全身全霊をかけた背負い投げ。それなのに、またしても明日香の体勢すらフラつかせることもできなかったのだ。

(そ、そんな)

 英雄は驚愕する。

 技を解いて再度明日香と向かい合う。

 英雄の前には同じ生物とは思えないほどの力を秘めた肉体があった。

「ほらほら、どんどんかけてきてくださいよ」

 ニコニコした笑顔。

 対して英雄はプライドをグジャグジャにされ、怯えきった顔をしていた。

(嘘だ。こんなの嘘だ)

 焦燥感。

 下に見ていた妹弟子が、自分よりも圧倒的に強いということを受け入れられない。自分の人生をすべて捧げてきた柔術と柔道で、自分よりもはるか年下の少女に劣っているということが、英雄にはどうしても信じられなかった。

「うわああああッ!」

 虚勢をはって襲いかかる。

 ありとあらゆる柔道の技。

 大外刈り、内股、小外刈り。

 英雄は一生懸命に技をかけ、そのことごとくを明日香に無効化されてしまった。

 英雄は必死の形相で、ハアハアと息を荒げながら技を繰り出していく。

(う、嘘だ)

 焦り。

 焦燥感。

 自分の技がまったく通用しない。

 何度も何度も技をかけ、何度も何度も跳ね返される。

 彼女の強すぎる肉体。

 そして、技をつぶす天性の勘。

 内股を繰り出せばスカされ、背負おうとしてもビクともしない。

 次第に英雄の動きが緩慢になっていった。

 技を繰り出してはいるものの、最初のころの勢いはなくなっていく。

 よろよろと。

 申し訳なさそうに技を繰り出し、それが明日香に通用しないことを思い知らされる。

(う、ううう)

 泣き顔。

 ぼろぼろになった男がそこにはいた。

 自分のプライドを年下の妹弟子に粉々にされてしまった男は、ついに明日香の道着をつかんだまま、力なくへたりこんでしまった。

「終わりですか? 師匠」

 明日香がニコニコしながら言った。

 それに対して英雄は返答すらできなかった。

 うつむき、ハアハアと息を荒くしながら、明日香の強靱な体にぶらさがるようにしてへたりこんでいる男。

「じゃあ、次は明日香の番です」

 攻守交代。

 明日香が初めて、英雄の道着を力強く掴んだ。

 有無を言わせない暴力的な力。

 袖と襟を完全にがっちりと捕られた英雄は、体の全ての自由を奪われた気がした。その感覚は、自分よりもはるか格上の選手に掴まれた時と同じものだった。

「師匠の一番の得意技はコレですよね」

 えい。

 電光石火。

 明日香の大きな体が信じられない速さで反転し、背負った。英雄の体が大きな弧を描いて飛ばされ、そのまま背中をマットに強打した。

「がはああああッ!」

 受け身一つとれなかった。

 英雄は何がおこったかも分からない。

 分かるのは今、自分の体が仰向けで倒れていること。

 全身を強打し、息すら吸えないこと。

 激痛と恐怖が全身を支配する。

 それは、自分のことを見下ろしてくる明日香の笑顔を見るにさらに募った。

「どうですか、明日香の背負い投げ」

 ニコニコ。

 英雄を背負い投げで投げ飛ばした明日香が得意げに語る。

「明日香、人の技を見るだけで完コピできちゃうんです。師匠の技も、覚えちゃいました」

「な、な、な」

「ほかにも色々おぼえましたよ? さっき師匠がいっしょうけんめい明日香にかけようとした技、ぜんぶ完コピ済みです。見ててください」

 それから始まったのは公開処刑だった。

 明日香は柔道の技で英雄を投げに投げた。

 豪快。

 その一言に尽きる。

 英雄の体は嵐の中の木の葉のように道場を舞い、マットに叩きつけられていく。

 英雄は手も足も出ない。

 まったく歯がたたないのだ。

 なんとか逃れようとしても、明日香に重心を崩されて、気づいた瞬間には宙を飛び、マットに叩きつけられていく。

(嘘だ・・・・・こんなの・・・・嘘だ・・・・・)

 信じられなかった。

 明日香は柔道の素人。

 しかも技を体感したのも今日が初めてなのだ。

 それなのに、明日香は言葉どおり、英雄の技を見るだけで完全コピーしてしまっていた。英雄が何年も厳しい練習を積んで体得した数々の技が、初見の明日香によって再現されてしまっている。

 いや、再現どころではない。

 その技の精度は英雄を軽く凌いでいた。

 重心の崩し方も。

 絶妙なタイミングで技をかける天性の勘も。

 そして、豪快な技の数々も。

 すべてが明日香のほうが上だ。

 英雄にはそれが分かった。

(そ、そんな・・・・・俺が・・・・・何年もかけて・・・・・いっしょうけんめいがんばって・・・・・・・それを明日香はなんの苦労もせずに・・・・・)

 才能の差。

 人間としての圧倒的格差。

 それを感じ取ってしまった英雄は動けなくなった。

 ただただ、明日香に投げ飛ばされ、地面に全身を強打して、息すら吸えない状態に追い込まれる。

 何度も何度も投げ飛ばされて、英雄はもはやぼろ雑巾になってしまった。足はがくがくと震え、腰を滑稽に引いて明日香から逃れようとしている。しかし、明日香の強靱な体がそれを許さず、英雄がどんなに逃げようが執拗に追いつめ、襟と袖を掴んで、投げ飛ばす。

「ふふっ、師匠の体、軽~い」

「かひゅうーーひっぎい・・・・・・」

「ほらいつまで地面でのたうちまわっているんですか師匠。はやく立ってください」

 地面に倒れるとすぐに引きずり起こされ、またしても明日香による柔道の技の披露会が始まるのだ。

 ニコニコ。無邪気に笑いながら、妹弟子が慕っていたはずの師匠をぼろ雑巾にしていく。

 道場中に、男の体が壊されていく音が響き続けた。

「柔よく剛を制す」

 明日香が言う。

「師匠の座右の銘ですよね」

「ひいい・・・ひいいい・・・・・」

「そんなバカみたいな言葉を信じて一生懸命練習をしてきたんですもんね」

 くすりと。

 妹弟子が師匠を鼻で笑った。

「そんなわけないのに。チビがどんなにがんばってもチビなのに。ふふっ」

 人を小馬鹿にしたような笑み。

 はるか年下の少女が、圧倒的な身長差を見せつけるように、その大きな体を英雄に寄せた。大きくて強靭な少女の体と、矮小で惨めな男の体。その対比をまじまじと見せつけてから、明日香が英雄の耳元で囁く。

「チビなのに頑張れば強くなれるなんて本気で思うなんて……本当、師匠はバカですね」

「うわああああッ!」

 なけなしのプライドを総動員して英雄が明日香に襲い掛かる。

 自分の曲げてはいけない矜持。

 自らの人生をかけて、英雄が強大な妹弟子の豊満な体めがけて技を繰り出そうと、

「はい、無駄~」

「ひっぎいいいッ!」

 どっすんんッ!

 簡単に一本背負いが決まった。

 背中をマットに強打して、英雄の呼吸が奪われる。肺が潰され、その中にたまっていた空気を根こそぎ奪われて、英雄が「かひゅーーーかひゅーーー」と死にそうな息をしながら悶え苦しんでいる。

「ふっ、惨め~」

 そんな師匠のことを明日香はじっくりと鑑賞していた。

 地面に仰向けに転がって悶え苦しむ英雄のことを、膝を曲げて座り、間近で見下ろしている。

 両手で頬杖をついて、リラックスした状態でかつての師匠が苦しんでいる様子を見つめているのだ。その瞳には明らかな愉悦があった。

「これで分かりましたよね、師匠」

 なおも地面でのたうちまわっている男を見下ろして、明日香が言う。

「チビがどんなにがんばっても、体の大きな女性には勝てないんです」

「カヒュウーーッ! ひゅううっ―――」

「師匠はチビだから、体の大きな明日香には勝てないんですよ」

 それくらいわかりましょうよ。

 バカにしたように笑って、明日香が英雄の道着を掴む。

 大きな手によって、英雄の襟首がわし掴みにされ、そのまま力任せに持ち上げられ、立たされる。

 それだけで英雄は敗北を分からされた。それほどまでに明日香の力は規格外だった。これからすぐに自分の体は宙を舞って床に叩きつけられる。目の前の優秀な肉体をもった明日香に才能の差を見せつけられ、完膚なきまでに敗北するのだ。

「ふふっ」

 恐ろしい少女が笑っている。

 純粋な恐怖で背筋が震えた。

 ぎゅううっとさらに力強く道着をつかまれ、柔道の技が叩き込まれようとする瞬間、

 ついに、

「・・・・・・・ゆるして」

 英雄が言った。

 力強く襟首をわし掴みにされ、生殺与奪の権利を全て奪われてしまっている―――そんな情けない状況に追い込まれ、英雄は観念したように声を漏らしていた。

「もう、やめて・・・・・ゆるして」

「師匠?」

「もう、明日香のほうが強い。わかったから、もうやめてください」

 プライドもなにもなく懇願する。

 それほど今の英雄はボロボロだった。

 今の投げ飛ばし地獄から逃れることができるならばなんでもする。そんな負け犬の心境になるまで、英雄は明日香に追いつめられてしまったのだ。

「ふふっ、師匠、かわいい」

 明日香はそんな情けない英雄を見て笑った。

 ニコニコと純粋無垢な娼婦のように笑う。

 その笑顔を前にして英雄は「ひい」と悲鳴をあげた。

「でも、まだですよ、師匠」

 笑いながら、

 明日香がぎゅううっと英雄の道着をつかんだ。

「柔術の技でとどめをさしてあげます」


つづく