薄暗く、埃っぽい一室。

 周りには跳び箱だとかマットだとかが無造作に置いてある。

 それらは明らかに年季が入っており、いつも体育で使っているものとは違うものみたいだった。

 辺りは暗く、薄らぼんやりとその全体が見えるだけ。

 その大きすぎず小さすぎずの空間は、まるで学校の体育倉庫であり、事実そこは体育祭などだけで使われるという用具をしまって置くための体育倉庫だった。


 その空間で、伊藤誠は目を覚ます。

 寝ぼけ眼で辺りを見渡した誠が思うのは、ここはどこだ? というその疑問だけ。

 というか自分がいつのまに寝ていたのかが思い出せなかった。

 確か、言葉と一緒にいたと思ったのだが……。


「あ!」


 誠は完全に覚醒すると、さきほどまでの出来事を思い出していた。

 世界と一緒に帰ろうとした矢先、言葉が現れて自分のことを呼びつけたのだ。

 そして確か屋上で、俺は「言葉とはやはり付き合えない。俺は世界が好きなんだ」ということを打ち明けたはずなのである。


 誠はそのことをはっきりと思い出しながら、その後、言葉が浮かべた悲しそうな笑顔をも脳裏に思い出していた。

 その言葉の姿を見ても「本当に申し訳なく思うのだがしかし自分はやはり世界が好きなのだ」と、決心が揺るがなかったのを誠は確かに覚えている。


 そこまではいい。そこまでは記憶が残っている。しかし……、


「俺はなんでこんなところで寝ているのだろう」


 思いが言葉になり、もう一度辺りを見渡す。

 学校の体育倉庫の一つの中。その光景が誠の目に飛び込んでくる。

 はて、本当になんで俺はこんなところにいるのだろう、と誠がひたすらに疑問詞を浮かべていると、


「あ、誠くん。やっと起きましたか?」


 誠の後ろで声がした。

 大人しい感じの女性の声色。誠のよく知っている、以前好きだった人の声。


「こ、言葉?」

「はい。ふふふ、誠くんったら、全然起きてくれないんですもん。もう始めちゃおうかと思いましたよ」


 言葉は誠の後ろの跳び箱の上に座っていたようで、誠が起きたのに気付くと「よいしょ」という具合にそこから降りた。

 その言葉の姿はいつもどおりの制服姿であり、これもまたいつもどおりに長い黒髪が背中まで伸びている。

 誠のほうにゆっくりと歩き出した言葉の胸が、たぷんたぷんと揺れている。

 102cmという高校生にあるまじきその大きな胸が、まるで誠のことを威圧しているかのように迫ってきていた。


 そんな言葉の姿はいつもどおりの姿。言葉の様子も学校のと同じ雰囲気である。

 しかし誠は何か違和感のようなものを感じていた。

 言葉の陶器のように真っ白で透き通った肌。

 顔は美人であるのだが童顔で、その幼く見える表情と、制服を今にも突き破ってきそうな巨乳ぐあいがなんともいえない魅力を放っている。

 魅力といえばその胸に劣らず、初めて会った頃よりも短くなったスカートから伸びるその脚線美。

 肌と同じように真っ白に透き通ったその脚線美は、まるで精巧な人形を見ているかのような錯覚さえ感じさせる。


 そんな、そこらへんにいる女性とは一線をきすような容姿。

 その言葉の姿は確かに魅力的で、胸がドキドキするのは事実なのであるが、それとは別に誠は言葉の様子に違和感を感じているのである。


(なんだろう。この感じは……恐怖? 何か薄ら寒い感じが俺の体を包み込んでいて……)


 誠が言葉の様子に戸惑っている内にも、言葉は誠へと歩み寄っている。

 その足取りはゆっくりとだが、確かに誠との距離をつめていく。

 2人の距離がせばまり、誠は言葉の全貌を完全にとらえることができた。

 そして誠は気付く。言葉に何か違和感を感じていた正体を。


「お前……言葉、どうしたんだよ、その……目」


 誠の問いかけに言葉は答えない。

 ふふふ、と笑いながら、誠のほうへ歩いていくだけ。

 誠に近づくたびに、言葉の様子はおかしくなりはじめている。

 目には力がなくなり、どこに焦点が結ばれているのか分からない。

 口元には笑みが浮かんでいるが、その笑みはいつものソレではなく、見るものに薄ら寒さを感じさせるような狂気にかられた笑顔だった。


「誠くん、私決めたんです」


 声に力がない。

 その声も誠に向けられたものには感じられず、まるで一人ごとを言っているような感じである。


「決めたって……何をだ?」

「ふふふ、誠くんのことですよ。誠くん、西園寺さんのことが好きなんですよね。私よりもずっと……もう私のことを好きになる可能性なんてないって……西園寺さんのことが好きだからって、そう誠くん言いましたよね」

「あ、ああ」

「だから決めたんです。誠くんが私のこと好きになってくれないんだったら、誠くんを私のモノにしてしまえばいいんだって……」

「な……こ、言葉?」


 ピタ、と言葉は誠の間近まで来て止まる。

 誠の鼻腔に、言葉の甘い匂いが舞い込んできて、一瞬だけその色気にやられそうになってしまうが、誠はその欲望に耐えた。

 さきほど屋上で言葉に言ったことは本当であり、自分は本当に世界のことが好きなのだからと。


「誠くんのすべてが欲しいんです。誠くんの体も心も泣き声も命乞いも恐怖も……」


 誠は言葉が自分のことを誘惑してくるのだと思っていた。

 密室に男女が2人。

 以前までの自分だったら間違いなく言葉のことを襲っているだろう。

 しかしやはり俺は世界が好きなのであり、もうそういうことはしないと世界と誓った。

 だから、言葉がどんなに迫ってこようとも、自分は耐えてみせる。


 そんなことを思い浮かべる誠は、完全に思い違いをしていた。

 言葉は誠の誘惑する気などサラサラなかった。


 ただ、言葉は、誠を自分だけのものにしようと、

 自分のいいなりになる誠が欲しかっただけなのである。


「初めからこうしてればよかった……」

「え? むぐうううううううううう!?」


 言葉の片手が誠の顔にのびる。

 一瞬後、言葉の右手が誠のこめかみあたりを掴み、力をもっていく。

 誠はそれを振りほどこうと、両手で言葉の右腕を掴み動かそうとするのだが、言葉の腕はビクともしない。

 言葉の手は誠のこめかみ部分を握っていると言っても、言葉は誠の顔に密着しているのである。その手の平は誠の鼻をも押さえ込む結果となり、誠に息を吸う権利さえ認めない。

 振りほどこうと誠は必死に言葉の腕を掴むが、結果は同じ。

 まったくビクとも、動く気配すらしなかった。

 その現実を見て、言葉は狂気に駆られた瞳を嬉しそうに輝かせ、ここで初めて誠の顔を真正面から見つめた。

 そして、自分の片手にまったく抵抗できていない男の顔を見ながら、自分の率直な思いを紡いでいく。


「アハ、やっぱり誠くんより私のほうが力強かったんですね。薄々は感じていましたけど、まさかこれほどとは……」


 狂気にかられた魚の目。

 感情というものが宿っていないはずのその瞳に、ほんの少しだけ嬉しそうな感情が蘇る。

 誠くんを自分のものに。

 もう他の女の子を見ることもできなくなるまで調教したい。


 その思いはどこまでも強く、言葉は自分で自分のことを抑えることができない様子だった。

 だから、言葉は我慢することをやめようと思った。

 誠くんをめちゃくちゃにする。もう私しか見ないように完璧に私だけのものに……、


「じゃあ誠くん、覚悟してくださいね」


 明るくそう言った瞬間、

 言葉の誠の顔を掴む腕に、さらに力がこめられた。



(続く)