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 子供の頃から格闘技に興味があった。

 テレビで放送される格闘技関係の番組―――そこで繰り広げられる男たちの戦いに胸を熱くした。

 だから英雄が格闘技を始めたことは自然な流れだったのだ。

 柔道とブラジリアン柔術。

 英雄としてはブラジリアン柔術だけをやりたかった。

 柔道教室にも通うことになったのは親の意向だ。

 よく分からないマイナーなスポーツをやるよりも、メジャーな柔道をやったほうが息子の将来にとっては有意義だろう。そう考えた英雄の両親が、ブラジリアン柔術教室に通うための条件として、柔道教室に通うことも要求したのだった。



 *



 英雄は熱心に練習に取り組んだ。

 もともと同年代の男子と比べても身長が低かったが、そんなハンデがありながらも、ブラジリアン柔術教室での英雄の活躍はめざましかった。

 小さな体をいかして、機敏に動き、フェイントを重ねながら相手の首や関節を狙っていく。相手がたとえ自分より大きな体であっても、工夫次第で勝利できるという感覚に、英雄は夢中になった。めきめきと頭角をあらわしていき、中等部にあがったころにはブラジリアン柔術教室の指導役に抜擢された。尊敬する師範から、教室に入ったばかりの初等部生徒たちの指導役に選ばれたのだ。



 *



 初等部の生徒は基本的に言うことをきかない。

 やんちゃで、すぐに集中力をなくす。

 それでも、強さに対する憧れをもっていることは自分と同じで、英雄は熱心に初等部の生徒を指導していった。

 指導にあたっては自分が今まで感覚でやっていたことをわかりやすく言葉にすることが必要で、英雄にとっても勉強になった。

 やんちゃで元気だけがありあまっているような少年たちを指導するのは大変だったが、面倒見のいい英雄は根気強く彼らにむきあった。乱暴そうな少年たちも英雄の強さを知るにつれて言うことを聞くようになり、ブラジリアン柔術教室の初等部クラスは盛況となって、毎日やかましい日々が続いていた。



 *



 そんなある日、気弱そうな少女がブラジリアン柔術教室に入会してきた。

 富山明日香。

 それが少女の名前だった。

(なんでこんな子が?)

 明日香を一目見て、英雄は疑問に思ったことを覚えている。

 目の前の少女はとても小さかった。

 気弱そうで、現に教室に現れてからというもの、ずっと涙目になって、眉を下げっぱなしだ。

 とてもではないが、格闘技に興味があるとは思えない。

「どうして、ブラジリアン柔術をやろうと思ったの?」

 英雄が問いかける。

 すると、少女が、

「パ、パパが」

「え?」

「パパが、体をきたえるためにかよえって」

 両親から言われて嫌々通わされている。

 そういう子供も少なからず存在する。

 けれども、英雄としてはそういう子供も大歓迎だった。きっかけがどうであれ、ブラジリアン柔術のすばらしさを知って欲しい。英雄はおびえている明日香にむかってニッコリとほほえみながら言った。

「大丈夫。怖くないよ」

「・・・・・・・・・」

「少しづつやっていけばいいんだ。今日は簡単な動作からやっていこう。基本的なことだけど、この繰り返しが大事なんだ」

「は、はい」

 明日香への指導が始まる。

 これまで運動をあまりやっていなかったようで、明日香の動きはお世辞にもいいとは言えなかった。

 けれども、英雄の熱心な指導のおかけで、明日香もブラジリアン柔術の楽しさを感じるようになっていった。涙目ではなくなり、表情にも生き生きとしたものが浮かぶ。

 明日香も英雄を慕うようになり、英雄のことを「師匠」と呼んでなつくようになった。師匠はやめてくれと英雄が言っても、「師匠は師匠です」とかたくなに呼び名を変えてくれない。師匠と呼ばれて、英雄はどこかこそばゆい気持ちになりながらも、誇らしさも感じていた。

 指導と練習が続く。

 まだまだ教室内では誰にも勝つことはできず、誰よりも弱かったが、明日香は日々まじめに練習に取り組んでいった。



 *



「うん。だいぶ上達したね、明日香」

 道場での練習後。

 肩で息をして汗だくになっている小柄な少女を見下ろしながら、英雄が言った。

「ありがとうございます。これも師匠のおかげです」

 にっこりとほほえんだ笑顔。

 かわいらしい少女のほほえみ。

 楽しそうにしている明日香を見て、英雄もほんわかとした気分になった。

「師匠のおかげで、ブラジリアン柔術が好きになりました。体を動かすのも気持ちがいいです」

「いや、僕のおかげとかじゃなく、明日香ががんばってるからだよ。練習、いつもまじめに取り組んでるもんね」

「そんなことないです。これは師匠のおかげです」

 かたくなにそう言う。

 自分のことを慕ってくる妹弟子の存在はただただ嬉しく、英雄も笑顔になる。特に意図することもなく、自然と英雄の手が明日香の頭に置かれ、優しく撫で始めた。

「明日香なら強くなれるよ。がんばろうな」

「は、はい」

 顔を真っ赤にして、されるがままに頭を撫でられていく少女。

 英雄を見上げた彼女の瞳はトロンと溶けていた。



 *



 練習が続く。

 明日香はまじめに練習に励み続けた。

 けれども、やはり教室内で一番弱いのは明日香だった。

 試合ではいつも明日香が負けた。

 残酷な男子たちは、弱い明日香のことを痛めつけて、締め落としてしまうこともあった。特に明日香と同い年の少年が彼女のことを目の敵にしていて、試合ごとに明日香を締め落としては勝ち誇っていた。

「こら聡、加減をしろと言ってるだろ」

「うるせえ。弱いこいつが悪いんだよ。弱い奴は強い奴に従うべきなんだ」

「なに言ってるんだ。明日香はまだ始めたばかりなんだから、手加減してやらないとダメだろう」

「くそっ。なんだよ、こいつのことばっかり特別扱いして」

 ふてくされたようにして、どこかへ行ってしまう聡。

 英雄はやれやれと明日香の介抱をして、彼女が意識を取り戻すのを待った。

 これが日常茶飯事だった。

 明日香は何度も締め落とされた。

 けれども、けっしてブラジリアン柔術教室を辞めようとはしなかった。

 一生懸命に練習に励んでいく明日香。

 英雄はそんな明日香のことをほほえましく思い、ますます熱を入れて明日香のことを指導していった。



 *



 英雄の中学3年生の冬。

 ブラジリアン柔術と柔道を続けていた彼だったが、高校からは柔道一本で勝負をすることにした。

 高校の推薦を柔道でとったからだ。

 もちろん、ブラジリアン柔術への未練もあったが、その高校は全寮制の学校で、柔道部の練習に明け暮れながらブラジリアン柔術の練習をすることはできそうになかった。だから、英雄は長年通っていたブラジリアン柔術教室にも来れなくなる。それは明日香との別れも意味していた。

「さびしいです」

 明日香が涙目になりながら言った。

 それは英雄にとってなつかしい姿だった。

 明日香が教室に入ってきた時に浮かべていた表情。数年が経過し、男子に締め落とされても泣かなくなった明日香が、その瞳に涙をためて英雄のことを見上げている。

「・・・・・・明日香、がんばります」

 それでも気丈に、小柄な少女が言った。

「がんばって、それでこの教室の誰よりも強くなってみせます」

 覚悟をきめた明日香の顔。

 それを見下ろした英雄は誇らしい気持ちになり、彼女の頭に手を置いて、撫でた。

「ああ、明日香ならできる。がんばれ」

「はい」

 元気よく返事をした明日香。

 それが彼女との別れになった。


つづく